パノラマプロジェクトとは

18世紀末から19世紀後半までヨーロッパ中で流行したパノラマ館は、だまし絵を発展させたような巨大な空間装置であり、その構造は円筒形の場内に描かれた一連の絵を中央のステージから眺めるという単純なものでした。しかし、謹啓の実物大のジオラマと円形の絵を巧みにつないだり、光線の具合を調節したりすることによって、あたかも本物の景色に取り囲まれているような一種のヴァーチャルリアリティを生み出し人々を魅了しました。
19世紀のヨーロッパでは各地にパノラマ館が設置され人気を集めました。パノラマに取りつかれた一人であるダゲールはパノラマ館に利用できるのではないかという思い付きから、ついには世界最初の写真システム(ダゲレオタイプ、1839)を作ってしまいます。もしパノラマ館が存在していなかったら写真の発明はなかったか、そうでなくてもだいぶ遅れていたことでしょう。

このパノラマ館が日本に最初に入ってきたのは明治23年(1890)のこと。上野公園内に開館した「上野パノラマ館」には戊辰戦争を描いた「奥州白川大戦争図」、またほぼ同時期に開館した浅草六区の「日本パノラマ館」ではアメリカ直輸入の「南北戦争図」が展示され大きな話題を呼びました。その後、大阪の難波や京都の新京極など各地にパノラマ館が作られていき、日清・日露戦争のパノラマも盛んに公開されました。
しかし映画の出現により、パノラマ館の人気は急速に凋落し、各地のパノラマ館は閉鎖に追い込まれていきました。浅草の日本パノラマ館の跡地には映画館施設「ルナパーク」が建てられ、関東大震災まで人気を集めていました。

したがって、パノラマ館は写真や映画の原型とも言えますし、その後20世紀になって登場したラジオやテレビ、そしてインターネットのルーツとも言えます。これらの「メディア」を通して人々は自分たちの生きる世界を視覚的に理解し、世界観を作り上げてきたのです。それ以降私たちはメディアを通して世界を経験したり理解したりするようになっていきました。その意味でパノラマ館が好んで取り上げたテーマが「戦争画」だったことは示唆的です。それは近代の国民国家の形成と不可分なメディアでもありました。
パノラマプロジェクトはかつてパノラマ館のあった東京・台東区と京都の二カ所でパノラマやメディアをテーマにして、日本の近代史を批判的に振り返る壮大なアートプロジェクトです。映画、美術、音楽パフォーマンスそして演劇など多彩な表現が下町の路地に三日間限りの魔法の世界を作り出していくのです。